「ウソの気力」および「無気力」との闘いに終わりはあるのか

大分間が空いてしまった。

約1カ月前、こんな記事を書いた。

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「とりあえずやってみよう」の精神で、以下の3つのことを同時に始めたのである。

  1. youtube動画投稿
  2. ネーミングの仕事に応募する
  3. このサイトの記事書き

 

で、1カ月後の結果はこんな感じ

  1. 2つアップした時点で気が済んじゃう
  2. 1こだけコンペの仕事応募して、落選
  3. 12月20日の更新を最後に停滞

 

う~ん、人間のやる気って、どうしてこうも続かないものかねぇ。

この連載でも、常に「やる気の管理」のことばかり考えている気がする。

思い付きで何かやってみる→飽きる→飽きっぽい自分への自己嫌悪 という無限ループ…。

 

便利なことや、時間をかけて身に付けたスキルの価値が下がっていき、お金や承認欲求に左右されない「好き」という情熱が無二の価値を生んでいくこの時代。

私のような「何事にも情熱が持てない人間」はどう生きていけばいいのだろうか。

「旦那さんに『仕事辞めていいよ』」って言ってあげたい!」という気持ちは今もまだあるんだけど、他者に依存した目標だからか、エネルギーがどうも弱い。(旦那さん、ダメな妻でゴメン)

 

無気力の原因がわかっても、正面から無気力と戦っても、気力がわいてくるわけじゃないんだよね。

なんというか、「ウソじゃない持続可能な気力」がほしい。

無気力な自分を受け入れたままできることを探すというか。

何言ってるんだろう私。

 

自己啓発とか結構好きで、色んな動画や本を見たり、人に話を聞いたりするんだけど、「無気力」について解が出せている人はいない気がする。

やる気を維持する方法は教えてくれるけど、やる気を湧き上がらせて、継続できるよう管理してくれる人はいない(当たり前か)

 

今は「好き」という気持ちが価値になる素晴らしい時代。

しかし、情熱のある人がどんどん前に進んでいく一方で、情熱のない人は身動きが取れないままどんどん置いてかれていってしまう。

この距離が広がれば広がるほど、情熱のある人はない人に見向きもしなくなり、情熱のない人はある人を妬んで足を引っ張るだろう。

生きるエネルギーが少ない自分を受け入れて、なおかつ継続して社会活動を続けることができる場があればいいなぁと思う今日この頃。

何言ってるんだろう私。

 

↑連載に戻ります